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ブラックヤクのカン・テソン会長が進む「ヤクロード」


  • ブラックヤクのカン・テソン会長が進む「ヤクロード」
ブラックヤクのカン・テソン会長は23日、ドイツのミュンヘンで開催されるスポーツ用品博覧会(ISPO)に出席するために出国する前に、このような話をした。「内需が低迷しているというが、心配はしない。グローバル市場への道があるからだ」この言葉が虚言ではないことは、ブラックヤクがISPOで11個の賞を受賞して証明された。

カン会長の経営哲学を象徴する言葉を一言で要約すると、「ヤクロード」だ。済州島出身の彼は、中学校の時から漢拏​​山に登りながら山と親しくなった。

山が好きだった彼は、20代半ばの1973年、鍾路5街にトンジン社を建てて登山の装備を売った。しかし、1990年代初め、国立公園での炊事とキャンプが禁止され、危機を迎えた。

苦しくなるたびに彼は山を訪れたが、その後も専門登山家たちと一緒にヒマラヤ登山を行った。ヒマラヤを登頂したカン会長はヤクが重い荷物を背負って急な山道を登る姿を見た。海抜4000~6000メートルの高原に生息するヤクは強い生命力を持った動物だ。肉体的にも精神的にも完全に消耗していたカン会長はヤクを見て考えた。「ヒマラヤのような厳しい環境でも黙々と道を進みながら生き続けるブラックヤクの道、ヤクロードこそが私の行くべき道だ」

ヤクにインスピレーションを受けて心機一転したカン会長は、1995年12月「ブラックヤク」というブランドを立ち上げて、機能性登山服に領域を広げた。2000年代に入って週5日制が定着して登山服を着る人口が増え、事業は安定した。

しかし、カン会長はこれに満足せず、「中国」という大きな山に挑戦してみることにした。1996年に進出しようとし、通貨危機により失敗したが、1998年に再び挑戦して今ではデパートや直営店を合わせて33店舗が運営されている。2012年、ヒマラヤに店舗をオープンしたことを起点にグローバル化に拍車をかけ、ドイツ、イタリア、スイスなどヨーロッパ各国に進出し、今年の秋からは米国市場を本格的に攻略する。

ブラックヤクの武器は、売上高の10%以上を投入して開発した新技術だ。心電図を測定する衣類「ヤクオンP」とスマートフォンで温度を制御することができるダウンジャケット「ヤクオンH」、足の負担を最小限に抑える登山靴などが代表的な革新事例だ。カン会長は、今回のミュンヘンの博覧会に出席した記者団に語った。 「今、韓国と中国、ヒマラヤを越えて、吹雪きが吹くグローバル市場に挑戦する。高山地帯を開拓するヤクのように、誰も行かない道を歩く」

彼の夢は、ブラックヤクの売上1兆ウォンを早期に達成して、グローバル1位アウトドアブランドに跳躍することだ。専門登山家でもある彼は、世界のアウトドア市場​​の頂上に到る日を待っている。
  • 毎日経済 チャン・バクウォン論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2016-01-27 17:37:15




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