Q.韓国にクラブはどのようなところですか?いつごろできましたか?

답변게시판
A.
本当に難しい質問ですね。クラブには社交クラブやボランティア団体もあり、お酒を飲んで踊るクラブもありますので。社交クラブのうち、ソウルクラブは入会費も7500万ウォンにもなるうえに、お金が多いからと会員になれるところではありまえん。会員の推薦も必要で、会員数が1000人余りに定められており、既存の会員が退会して、ようやく厳しい審査を受けて登録することができます。

まさかこんなクラブの会員たちが、密閉された空間で何をしているのかを知りたいのではないでしょう。奉仕活動が主な目的であるライオンズクラブやロータリークラブでもないでしょう。変態・退廃営業をしているのフェティッシュ(Fetish)クラブや、性同一性があいまいな人が集まる女装クラブやトランスクラブは教えて差し上げることができません。

ああ、音楽を聴いてダンスを踊る、そんなクラブの文化を知りたいのですか。

伝え聞いた話では大衆文化に関心がある日本の言論人が、韓国のクラブの社長が公演をしたバンドに来場者が少なく申し訳ないと、メンバーと打ち上げをしてあげたことを見て感動したといいます。日本のクラブは知名度のないバンドにチケットを売らせ、売れなかっただけをバンドが購入する方法で場所代を払わなければならないと言いました。日本のクラブは行ったことも聞いたこともないので、本当かどうかは確認する方法はないですが。

このようなエピソードを聞くと、韓国のクラブが非常に健全にエレクトロニックやヒップホップの音楽を演奏するかのように思われるでしょう。しかし、実際には正反対です。韓国ではクラブは健全な文化とは全く違う、退廃的な文化の温床として記録されていています。

これは、韓国のクラブが米国から渡ってきたからです。米国でもDJが流す音楽を楽しみながら、ビートに合わせて体を揺らす健全なクラブと一緒に非常に濃い濃度のスキンシップが乱舞する退廃的なクラブもあるではないですか。そのようなクラブのブビブビ文化(男女が体を密着させて踊る文化)が韓国にそっくり移ってきたのです。

クラブはソウル江南(カンナム)と、弘益大(ホンデ)周辺、梨泰院(イテウォン)など3か所に密集しています。アンダーグラウンドミュージシャンが活動する音楽の中心地の役割をしているところでもありますが、それこそ享楽が目的であるところもあります。クラブを訪れる顧客も同様でしょう。音楽を楽しんで踊って、溜まったストレスを飛ばしたい人はクラブを訪れます。

歌手パク・チニョン(JYP)もたまにクラブを訪れていたと放送で言いました。アイドル歌手の中でも踊りにクラブに行くメンバーたちが相当数になります。

一方、ひたすら異性に会ったり、薬を買ったり、楽しもうとする人もかなり多いです。これらのクラブは、性的な快楽を得ることができる場所というだけです。忘れるころになるとクラブで麻薬が摘発されたり、または、男女がクラブで会って楽しんでいるなかで性暴行されたという報道が出たりします。さらには2011年には、弘大のクラブが公然とスキンシップをすると、おまけで最高15万ウォンのホテル代を与える「カップリングイベント」まで開きました。さらにはセックスする絵が描かれた宣伝ポスターを貼ったりしました。

この状況だからクラブが一般には悪く認識されるしかありません。20代の男女がクラブに行こうといえば、ステージ上で踊って花を探してさまよう男たちが思い浮かびます。花たちは蝶が訪れるようにいろいろな種類の化粧をします。もちろん弘益周辺には、まだ変質していない、放送では聞くことができないマイナーなジャンルの音楽を楽しむクラブもまだ残っています。

もしかしたら、異性を探しているクラブは、ショーを見て、踊って、異性に会うナイトクラブと別段変わりはないように見受けられます。ナイトクラブには店で雇った女性従業員がいて、ウェイターが女性客を男性に紹介してくれる、いわゆるブッキングが行われるのに対し、クラブは気のあった男女が一緒になる部分が違うといいましょうか。

クラブの源流であるナイトクラブは、1960年代に入って登場し始めました。韓国戦争(朝鮮戦争)直後の1950年代には、食べていくのがやっとで、遊興文化は上流階級に限られていました。権力があり、お金が多い人は、そのような状況でも、あんなことやこんなことをすべてしていたことでしょう。韓国全土にツイストブームが吹いてナイトクラブができましたが、初期にはゴーゴークラブという名前で呼ばれていました。1970年代には、ホテルなどに大型ナイトクラブが現れ、ナイトクラブのDJたちによってディスコ音楽が韓国に上陸しました。

クラブが放送に出演できないアンダーグラウンドバンドの命綱であれば、当時のナイトクラブは西洋の新しい音楽を紹介する窓口と歌手たちが生活費を稼ぐ場でした。放送で受け取る出演料が少なかったので放送で人気を博した歌手やコメディアンはナイトクラブでお金を稼ぎました。いくら有名な歌手でもナイトクラブで演奏しなければお金に触れることができませんでした。

ナイトクラブのうち40~50代の中壮年層が主に行く所はキャバレーと呼ばれています。

☞ 韓国でクラブは1980年代末に登場しました。新村(シンチョン)の大学街の一部のバーが楽器を持ってきて公演を開始した後、第1世代のアンダーグラウンドバンドが演奏活動を開始し、ライブクラブブームが起き始めました。

☞ ライブクラブはエレクトロニカクラブやヒップホップクラブに分類されます。弘益大(ホンデ)の近くにはヒップホップのクラブが沢山ありますが、江南はいくつかの店を除けば、ほとんどがエレクトロニカ音楽を中心にしたクラブです。クラブの社長の中には、「ソテジワアイドゥル」出身のヤン・ヒョンソクも入っています。弘益大クラブ文化の草創期を導いたヒップホップの「クラブNB」とクラブが入居した建物が、彼の所有物です。 NBにあまりにも客が多いため、向かい側にもNB2として支店を出し、江南にもNBの支店があります。

☞ 1982年1月、韓国で夜間通行禁止令が消える前には、ナイトクラブがまだ家に帰らなかった青春男女の避難所になってくれました。正午を過ぎると、都市全体がオールストップになっていましたから。当時、深夜を超えて営業をしているところは、ホテルのナイトクラブしかありませんでした。ホテルに宿泊した外国の客を相手に明け方4時まで営業をするという口実だったのですが、客の99%が韓国人だったそうです。とにかく、その夜間通行禁止令が解除されるまで待ってから出てくるのですが、ナイトクラブの周辺には食堂と漫画喫茶、屋台がクラブから出てくる客を呼び込みました。ところで、漫画喫茶でポルノを流し、別の問題になったりもしました。
  • Lim, Chul/写真= MBN
  • 入力 2014-10-06 09:00:00

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