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コラム > オピニオン > 【韓国コラム】師匠に避難されたヴェサリウス
偶然にもコペルニクスと同時代の人物であるベルギーの医学者アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius)の評伝に接した。
フランスの哲学者デカルトが「コペルニクス的転回」と表現するほど地動説は古代ギリシャ時代から続いてきた天文学、さらには聖書に描かれた世界観を揺さぶった。ヴェサリウスの著書『人体の構造について』(De Humani Corporis Fabrica、通称『ファブリカ』)は、そこまで変革をもたらしたわけではない。
生前いかなる栄誉も享受したことのないコペルニクスとは違い、ヴェサリウスは若くして『ファブリカ』を出版し名声を得た。皇帝の主治医として栄華を極めた。
2人の共通点は15世紀のあいだ続いてきたギリシャローマ時代の学説を破ったことにある。
『ファブリカ』が出る前、西洋医学は2世紀のローマで活躍したガレノス(Galenos)の学説に支配されていた。ヒポクラテスに劣らない権威を持つガレノスの解剖学、生理学、病理学、治療学など医学全部門にわたって膨大な著書は1500年近く西洋医学の教科書だった。
ヴェサリウスが「もしかしてガレノスは人体を解剖したことがないのか?」という疑問を投げかける前に、誰もガレノスの権威に挑戦しようとする考えを持たなかった。
自分が投げかけた疑問の解答を得るためにヴェサリウスはメスを取る。他の教授たちの反駁に対抗するために解剖の試演で自分が正しかったことを立証して見せる。
詳しい人体解剖図が描かれた『ファブリカ』が1543年に出版された後、若い学生はヴェサリウスに熱狂し西洋医学は進歩に向けて歩み出したが、既成学者の辛らつな非難を免れることは容易ではなかった。特に彼が学んだパリ大学の師匠であるヤコブス・シルビウス(Jacobus Sylvius)の非難は、この上なく厳しいものだった。シルビウスは「ガレノスの解剖図に誤りがあるとすれば、彼が間違っているのではなく人間が退化して人体構造が変わったためだ」と強弁まで述べているほどだ。
新進学者たちはヴェサリウスの味方だったが、既得権勢力は彼を貶めるのに余念がなかった。中傷と非難に耐えかねたヴェサリウスは『ファブリカ』が出版された同年12月に自身の研究資料をすべて燃やした後、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の主治医となった。
迷信的な呪術と中世医学の旧態から抜け出せなかった他の宮廷医師との摩擦、ヴェサリウスの勧告を聞かず暴飲暴食する皇帝、宮廷生活の息苦しさを感じて辞職を申し出たが受け入れられなかった。皇帝の許しを得てエルサレムの聖地巡礼に旅立ったヴェサリウスは、帰ってくる船で暴風に打たれ小さい島に停泊したが、そこでこの世を去った。
ヴェサリウスによって間違いを指摘されたが、ガレノスは偉大な医学者だ。2世紀に成し遂げた彼の業績は賛辞を受けて当然だ。ガレノスが自分の過ちを見つけ直したヴェサリウスを恨んで非難したのだろうか。
同じ時代に活動していたら、ガレノスはヴェサリウスを称えていただろう。何の疑問も投げかけず、盲目的に自分を追従した学者を「石頭、ばか者」と叱責したはずだ。
是非を知っていながらも自分たちの権威を守るためにヴェサリウスをけなした師匠と元老学者、そして仲間の医師たち。最近、知性を自任する学者の中で、このように冴えない人々がどれほど多いか考えると目がくらむ。