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[モノの哲学] イヤホン…恋人たちの共同体

イヤホンはヘッドホンよりも隠密で刺激的な密室 

  • [モノの哲学] イヤホン…恋人たちの共同体
ちょっと離れた公園のベンチに並んで座っている女性と男性が明るく笑う。季節はいつの間にか晩秋を通り越して冬になったが、彼らの笑いは季節の変化に逆らうように爽やかで温かい。固い表情で速いペースで公園を歩いている周りの人たちと彼らの表情はどれほど違うか。ところが、世の中に属しながらも世界の人々と違った表情をしている彼らの表情は今、完全に一致している。

男性の右耳から伸びている白いラインは、女性の左耳の中に伸びて入る。いつか詩人が言っていたように、イヤホンは身体から別の身体に伸びる植物の茎だ。彼らの笑いは、太陽の光を受けて光合成をする木の生長の表現だ。

あの恋人たちの耳の中では今どのような音楽が聞こえているだろうか。晩秋にふさわしいピアノの音なのか、憂愁に満ちたジャズサックス演奏だろうか。人の声で歌われているロマンチックな曲かもしれない。この瞬間に明らかなのは、あの二人は同じ音を聞いていて、他の人が彼らの周りにいても、彼らが何を聞いているか知ることができないという事実だ。誰かがあの恋人をそばでずっと観察したとしても、彼らの世界に入り込むことができないという事実は、変わらない。このモノは、そのような点で世界に対して排他的だ。

イヤホンとヘッドホンは自分が聞きたい音を広場から分離して、自分だけの密室に持ち込む独占のツールだ。しかし、ヘッドホンとは異なり、イヤホンは、この密室を二人だけの共同体へと導く魔法の線でもある。だとすると、イヤホンはヘッドホンよりも隠密で刺激的な密室を完成するためのツールではないか。私の他にたった一人、つまり二人だけが共有する秘密こそ、一人で大事に保管する秘密よりも隠密で甘いから。

このモノを媒介に共有される対象は、お金でも、名誉でも、知識でもない。体に乗って入ってくる感覚の共有という点で、それは裂くことができないものを、分離が不可能なものを、分けることができないものを分かち合う事だ。彼らは使い道のないもの、無用なものを分かち合う。果たして空気中に漂う音などが何の役に立つというのか。パラドックスはここにある。有用なものは使い道がなくなれば消耗されるが、そもそも無用なものは消費されることがないという事実。

分かち合うことができないことを分けて、無用なことを共有するこの時間、このモノが建築したのは他でもない「恋人たちの共同体」だ。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-11-28 16:01:39




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