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暖かい言葉一つ…親切ではない従業員は不親切なのだろうか


  • 暖かい言葉一つ…親切ではない従業員は不親切なのだろうか
数年前、知人との旅行中に海岸沿いの食堂を訪れた。その地域の特産物を活用した料理で有名なお店だったので、全員が期待に満ちていた。料理は素晴らしく、お店はきれいだった。しかし、私たちは全員、不満でいっぱいだった。「美味しいことで有名なお店だというのに、なぜ」と始めたうわさ話は「美味しくて有名なお店だからこうなんだろう」で終わった。聞いていた通り美味しかったが私達はなぜ不満だったのか。食事を終えてお店を出て、まだうわさ話を続けている時に私は気づいてしまった。間違っている点が一つもなかったことを。

振り返ってみると顛末はこうだった。最初は料理を持ってきた従業員に誰かが座布団を要求した。従業員は、片隅にある座布団を指して、持ってきて使うように勧めた。次に、誰かがおかずをもっと持ってきてくれと要求した。従業員は何も言わず彼女が要求したものを持ってきた。一方の私たちはここは有名なお店なのにサービスがなぜこの程度なのかとうわさ話を始めたのだ。

つまり、私たちが文句をつけたのは従業員の「不親切」だった。しかし、彼らは不親切ではなかった。親切ではないだけだ。宿泊施設に戻り、私達はなぜ彼らに親切を当然のように要求したのかを考えた。旅行中だったため慌ただしく、簡単に導いた最初の結論は、私たちは大都市の過剰なサービスに慣れているからというものだった。しかし、そのような結論は、大都市の過剰なサービスが当たり前だという別の結論を自然に伴う。以来、長い間、私はその食堂での経験を反芻しながら、いろいろ考えていた。いわゆる顧客に接する彼らは必ずしも親切にするべきだろうか。親切でないことは、不親切なのだろうか。親切でないサービスは、なぜ不満を誘発するのか。

確かに、社会に初めて足を踏み入れた頃の私は色々な場所の過剰な親切に不慣れだった。ひざまずいて注文を受ける食堂の従業員にそこまでしないようにお願いするほどだった。まだ幼い私に尊称を使うタクシーの運転手と語尾に笑顔をのせる乗務員に対して一緒に腰を曲げたりした。しかし、いつしか私は笑顔と丁寧さがあまりにも当たり前のように感じる社会人になったのだ。大半の社会人が私と同じだからなのか、ナビゲーションから流れてくる言葉遣いでさえ攻撃的に親切だ。サービスを受ける間、彼らから親切な言葉がなければ何かが間違っていると感じる自分が恐ろしくなることが多い。彼らは私の友人でもないのに。
  • 毎日経済 パク・ミンジョン小説家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-12-10 17:38:14




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