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[モノの哲学] 枕、毎日違うものと会う通路


  • [モノの哲学]  枕、毎日違うものと会う通路
出張業務を終えて夕方に訪れたホテルが気に入った。チェックインをしてキーを受けて部屋に入る。Kはホテルの臭いが好きだ。この特有の臭いは白いシートと寝具が敷かれている清潔なベッドとも関連がある。疲れた体はシャワーをしたらもっとだるくなる。きれいに整理されたベッドは睡眠欲を引き起こす。ベッドに横になってから1分以内に引き込まれるように眠りにつく。

ところが、Kは何か、このよく整理されたベッドに不便さを感じる。視覚的に何か重要な構成要素が抜けていることに気が付く。完璧に備えられた客室から抜け落ちた、たった一つのことが睡眠欲を妨害する。どんな欠如が彼を不便にしたのだろうか。それは枕だ。彼は慌てて枕を探す。珍しく、この客室には枕が別の場所に揃えて置かれていた。彼は安心する。

以前に立ち寄った外国のホテルで枕がベッドの上に置かれていない風景を見たことがある。あなたも想像してほしい。あなたの家のオンドル部屋でもよい。きちんとそろえて敷かれた布団に枕がないとしたら。

すべての生き物は寝る。睡眠は生きているすべてのものの生命を維持するために、一日も欠かさず繰り返す一時的な「半死」状態だ。ところが、枕を使って寝るのは人間だけだ。枕は直立歩行をする人間の骨格形態の必要性を直接反映している物理的な道具だ。

しかし、枕は首の骨を楽にするための物理的な道具に過ぎないのだろうか。眠るとき、人間は自身が覚えていない、いろいろな種類の奇異な映像と「半死」状態で会う。眠りは生命活動の連続であるが、それは生と死の間にある別の世界と会う通路でもある。生命活動のエネルギーを可能なだけ停止させる時間に、人は「別の何か」に「会う」。「夢のない眠り」と言うが、夢を見ないのではなく起きて覚えていないだけだ。

私たちは一日も欠かさず寝て「何か」に会う。その「出会い」の通路に入るときに最も重要な儀式的媒介物は何だろうか。「頭」をのせる枕ではないか。枕の欠如から感じられる不便感、枕の若干の高低や硬さからも敏感に影響を受ける「熟眠」とはどういう意味だろうか。不便な枕は私たちが一晩中寝返りを打つようにする。「他の出会い」とは、もしかして邪魔をされることに対する心理的な不便さではないだろうか。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-02-06 15:59:56




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