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[モノの哲学] 蛍光灯「ムード」のない灯り


  • [モノの哲学] 蛍光灯「ムード」のない灯り
20世紀以降の人間の夜に、人工太陽の役割をしてきた蛍光灯は「明らかになった」という意味の「文明」を実現させるモノだ。蛍光灯は白熱灯に比べて非常に高い熱効率を持っている。だから生活空間で蛍光灯は、「非常に明るい」光を必要とする場所に設置している。言い換えれば、これはこのモノが機能的な光だという意味だ。蛍光灯は「ムード(mood)」のための灯としては余り使用されない。なぜだろうか。

「非常に明るい光」とは、その下に置かれたモノを露骨に照らす光だ。その光は、モノを赤裸々に見せる。しかし、銭湯で裸を見て「感興」がわくことがあるだろうか。このような感興は、隠密性に伴う誘惑のようなもののために起こる心理的現象だけではない。一つ残らず裸になったモノからは、むしろ存在の核心が見えなくなるからだ。

人々は「ムードがある」という言葉を軽く使用するが、哲学者マルティン・ハイデッガーは「ムード」を、存在が本質を知らせてくる真実の時間だと理解した。この時、存在の真の姿は一つ残らず明らかになるのではなく、常に隠された闇が伴ってこそ現れる。

恋愛をするとき「ムード」が必要な理由は何だろうか。

「ムード」を介して相手の目に見えなかった真の姿が明らかになって、それを発見する瞬間、そこに魅了されるからだ。ムードは感情的なホリックではなく、存在論的な瞬間だ。非常に明るいところで恋人の皮膚の汗穴まで一つ残らず見るからと、ムードが生じる訳ではなく、彼(彼女)をよく知ることでもない。ムードは隠された部分が伴ってこそ出現するものだ。

「(恋愛)スキャンダル」とは、匿名の視線に2人の関係が白日の下にさらされることをいう。関係は裸になる。匿名の視線は自分たちが目撃したその関係を非難し、その2人の真実を「全部分かるようになった」と勘違いする。しかし、一つ残らず明らかになったスキャンダルは焦点もなく脈絡もないため、その関係の真実について何も教えてくれない。「すべてのこと」を見る視線は、何も見ることができない視線だ。多くの人々が誤解するのとは異なり、いい詩の特徴はモノの全体ではなく、重要な「一つ」だけ見る。手術台では手術部位一つだけを残して、身体全体をガウンで覆う内科医のように。

「視点(point of view)」は、「一つの目(焦点)」を持つという意味だが、唯一の正確な視点は、人間の限界であり、真実に正直に到達できる唯一の可能性だ。
  • 毎日経済_ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-02-27 16:16:52




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