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[モノの哲学] 絆創膏、「傷」のある場所が中心に


  • [モノの哲学] 絆創膏、「傷」のある場所が中心に
世界初の3Dアニメーション『トイ・ストーリー(Toy Story)』は、再度見ても感動的なところがある。大人になった自分の視点からこの映画の感動は、自分自身について感じるある種の「気まずさ」「くすぐったさ」のようことからくる面がある。子供の頃に多くの時間を共にした友達であるおもちゃをいつからかほっぽり出して、最終的には、それを忘却することが大人になる過程だという「申し訳なさ」をこの映画が想起させるからだ。

あなたが子供の頃、最もありがたく思っていたモノは何だったろうか。あなたと多くの時間を一緒に過ごし、あなたの面倒を見たり、あなたを慰めてくれたモノは何だったのか。記憶に残っているのなら、そのモノは今、どこにいるのか。

財布に絆創膏の一種である「バンドエイド」を入れて持ち歩く非凡な(?)先輩に会って、ようやく私はそれがそのようなモノだったことに気付いた。私は空き家の屋根に登って飛び降りる遊びが好きだったワンパクな子で、小学校で最も速く走るかけっこの上手な子だった。その分だけ、転ぶことも多く、ふくらはぎが傷がついたり、膝と肘が擦り切れたり、額が切れることが頻繁に起こった。よく引っ掻く友達がいて、爪の跡が私の顔に残った状態で家に帰ったりもした。ふくらはぎにも、膝にも、肘にも、顔にも、その場所にまず「絆創膏」を貼った。自分で貼ったりもしたが、通常はお母さんの暖かい手で貼られた。

兵士が戦場で得た栄光の傷であるかのように、そのモノは勇敢さと素早さ、楽しい遊び場で得ることができた勳章でもあった。とても少ない量の血にも驚いて泣きそうになる子供にとって、この小さいモノは実際の効果以上に子どもを安心しさせる心理効果があり、逆説的に、子供は絆創膏を付けることにより、大変な負傷が自分の体にあるかのように、得意になったりもする。

しかし、このモノの効果を誇張だとばかり言うこともできない。医学的に見ればたいしたことはないが、このモノを貼る場所にある、その小さな傷は終日体全体を非常に不便にする。あなたは、体の「中心」はどこだと思うか。この小さなモノを貼ることになるその瞬間には、まさにその傷口ではないだろうか。その場所に体全体の神経が集中されるからだ。となると絆創膏は、最も重要な位置、「中心」を緊急でケアするモノだ。

個人だけでなく、社会にも中心がある。今この時刻、痛みを訴えるその「低い場所」がまさに社会の中心であり、最も重要な場所だ。お母さんが付けてくれた緊急の絆創膏はそこにも必ず必要であり、その役割を私たちは果たすことができる。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-04-10 16:15:40




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