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[世智園] セウォル号と記憶の再構成


  • [世智園] セウォル号と記憶の再構成
人間の記憶がレコード機械のようであればどれほど良いだろうか。見て聞いたままを保存して再生するメカニズムなら、人間はいつも同じ内容だけ覚えいることだろう。人によって記憶の差で悩むこともないだろう。しかし、記憶は頭の中から引き出すたびに内容が変わる。境遇に応じて、どのような刺激を受けるかによって、再構成される。なかった記憶を作ったりもする。

心理学者のエリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)の実験がこれを立証する。彼は参加者に自動車事故のビデオを見せた。一方のグループには自動車が 「衝突した」と教え、もう一方のグループには、自動車が「粉砕した」と教えた。一週間後、後者のグループは窓ガラスが割れたと記憶していた。しかし、実際には窓ガラスは割れていなかった。「粉砕」という単語により刺激を受け、「窓ガラスが割れた」と記憶を操作したのだ。この実験台の通りであれば、人間は無意識のうちに記憶を再構成すると言える。

映画『羅生門』はこれをよく示している。侍が妻と一緒に森の中を歩いていて事件に合った。盗賊は彼の妻を手籠めにした後、侍を殺したと言ったが、妻は手籠めにされた後、理性を失って夫を殺したしたと言った。巫女が呼び出した侍の魂は、妻に裏切られて自決したと言った。誰もが同じ事件を経験したが、その記憶は全く違う。

最近の韓国社会がそうだ。「セウォル号の惨事」という同じ事件を経験したのに、人々の記憶は正反対になっている。事件が政権の圧迫に悪用されていると信じている人、無能な政権のせいで命を失ったと感じる人との間の記憶には、交差点がない。16日、警察とデモ隊が衝突したセウォル号追悼集会により、人々は、さらに正反対の記憶を更新することになった。ある人たちは政治家が反政府闘争の手段としてセウォル号遺族を悪用したという記憶を再構成した反面、ある人たちは国がセウォル号を嘆く自由さえ防いだというふうに記憶を更新した。

同じ事件を経験しても正反対に記憶するのであれば、お互いの言葉を信じることができない。セウォル号から1年、国は引き裂かれ、不信は深まった。解決策は五里霧中だ。ただし、その出発は苦しむ遺族への配慮がなければならない。むやみに忘れろという言葉は言ってはならない。パク・クネ大統領も述べたように、心を持っている人にとって忘却は難しい。
  • 毎日経済 キム・インス論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-04-20 17:18:08




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