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[コラム] 銃声を止めたスポーツスター、パッキャオとドログバ

貧しい祖国に自分の幸運を分ける英雄たち 

ディディエ・ドログバ(Didier Drogba)とマニー・パッキャオ(Many Pacquiao)の共通点はなんだろうか。

スポーツが好きな人はすぐに気づくだろうが、まず37歳という年齢が同じだ。運動選手としては還暦に近い年齢にもかかわらず、激しい種目のボクシング​​とサッカー選手として現役で活躍していることも驚くべき点だ。競技力も世界トップクラスだ。

ドログバはイングランドのプレミアリーグのチェルシーFCを先頭の位置でリードしており、パッキャオはボクシング​​史上類例のない8階級席巻という偉業を達成して、すでに伝説となった。アフリカのコートジボアールと東南アジアのフィリピンとう貧しい国の出身という点でも似ている。

しかし、彼らの本当の共通点は、「国民的英雄」というところだ。彼らは心から国を愛し、内戦でボロボロになった国の銃声を止めた。「黒いイエス」というニックネームで呼ばれるドログバと貧しい祖国の現実を忘れないパッキャオの熱い心は韓国のファンにも伝わっている。

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  • < マニー・パッキャオ >

2012年12月、パッキャオは天敵であるマルケスとの第4戦で不意のカウンターパンチを受け、KO負けとなる。試合で負けて落ち込んで戻ってきた彼を、フィリピンのファンはそれでも熱烈な歓呼で迎えた。

「私がフィリピンを背負っていると思っていましたが、実はみなさんが私を支えてくれていました」

パッキャオも、ファンも一緒に泣いた。そしてパッキャオはリオスとの復帰戦に勝利し、復活する。彼は自分が受け取ったファイトマネーの191億ウォン全額を台風で被害を受けた被災者に寄付した。

そして5月3日、無敗のボクサーメイウェザーとファイトマネー2億5千万ドルがかかった世紀の対決を控えている。ボクシング​​の専門家たちも当日のコンディションに応じて勝敗が分かれることを予測するほど、激しい接戦が予想されているが、この試合で負けてもパッキャオへのフィリピン人の愛が冷めないのは明らかだ。

ボクシング​​の天才は1978年に食事もまともにできない貧しい家に生まれた。家の近くでは、政府軍と反政府勢力の銃声が聞こえ、住民の目の前で兵士たちが斬首されるような近所で育った。

小学校もまともに終えられないままパッキャオは叔父にボクシング​​を学び、近所のボクシング​​大会で選手生活を始めたが、お金を稼ぐために、1週間に一度はリングに立った。13歳の時、マニラに出て、彼はプロ選手として登録するために年齢を二歳年上に偽り、服の中に重いものを入れたまま体重計に乗って、最低体重の基準を達成した。

大変な思いをしてボクシング​​界に足を踏み入れたが、フィリピンのボクシング​​界に波乱を起こし、アメリカに渡って生涯の同伴者であるトレーナー、フレディ・ローチに出会って偉大なボクサーとしてのキャリアを積んだ。1998年、フライ級世界チャンピオンになった彼は、以来、スーパーバンタム級(2001年)、スーパーフェザー級(2008年)、ライト級(2008年)を征服し、スーパースターに浮上した。

そして、2008年のデラホーヤとの試合で8ラウンドTKO勝利を収める。この試合は、圧倒的な体格の違いのせいで「パッキャオが死ぬかもしれない」と中断論が出たものだった。

以後、ライトウェルター級(2009)、ウェルター級(2009)、ライトミドル級(2010)まで征服し、すべての階級を食べつくしたと「Pac-Man」というニックネームを得た。

パッキャオの試合が行われるときは、フィリピンの通りから車が姿を消すほどだ。戦いをしていた反乱軍やギャングも銃をしまってテレビの前に座る。

フォーブスの集計によると、彼は世界のスポーツスターの中で、今回、対戦するメイウェザーの後に続いて二番目に多いお金を稼ぐ。パッキャオは拳で稼いだお金で故郷の町や、政府の手が届かない奥地に病院や学校を建てて、羊とヤギを贈り自立を助ける。これだから、フィリピンでの彼の人気が高いのは当然のことだ。

ドログバは重要な試合になるほど、ものすごい活躍を見せるサッカースターだ。彼は9回決勝に出場して9つのゴールを放ち、7回を勝利に導いた。

韓国の熱心なファンがドロクシン(ドログバ+神)と呼ぶドログバは、5歳の時にフランス2部リーグでプレーする叔父のもとに送られた後、毎日泣いて夜を明かした。父は銀行員として働いていたが、コートジボワールの経済事情はますます悪くなり、失業して一緒に飛行機に乗ることができなかったからだ。

サッカー選手として大成したドログバは、自分は幸運児だったと、人々を助けるために献身的に動く。故郷アビジャンに病院を建て、エイズ撲滅運動を行っている。

コー​​トジボアールでのドログバは、単純なスポーツスターではない。彼が空港に降りるときは集まったファンで足の踏み場がなくなる。9時のニュースの見出しは彼の動静で埋められ、故郷には彼の名前を冠した通りがある。大衆スターを越えたコートジボアールの人々の愛情は、10年前のドイツワールドカップ予選までさかのぼる。

本大会への出場チケットを得た後、ロッカールームでテレビカメラの前で膝をついたドログバが、マイクを握った。「皆さん、私たち、1週間だけでも武器を置いて、戦争を止めましょう」。内戦を繰り広げていた二つ集団の代表がサッカーの競技場を訪れた日、ドログバの懇願は成果を収めた。それから1週間、コートジボアールでは銃声が聞こえず、2年後には疲れ切った内戦が終息した。

ボロボロになった故郷に根を下ろし、自分が稼いだお金と名声を住民に惜しみなくわけ与えるスポーツスターは、英雄称号を与えても不足はない。
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  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-05-01 09:00:00




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