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[モノの哲学] 額縁、フレーム戦争と奴隷の道徳


  • [モノの哲学] 額縁、フレーム戦争と奴隷の道徳
仕事中に疲れてぼんやりと窓の外を眺める午後4時頃になると、携帯電話に山のような花が伝送されてくる。父の写真だ。遠くの空と高層ビルを背景にした漢江の全景が、自転車に乗る子供の風景が、しばしば深い山の中で見ることのできる鳥と湖と松の森の風景が送られたりもする。デジタルカメラの時代なので撮った写真をすべて現象するものではないが、良い写真を撮ると、父は子供のようにはしゃいで家の壁のあちこちに写真を額縁に入れてかけておく。

父の額縁選択は慎重だ。風景の種類によって、焦点のターゲットサイズによって、額縁の材質・色・サイズ・デザインを別々に選ぶ。写真を撮ることよりも額縁を選ぶために、より長い時間を使うこともある。風景がどんな額縁の中に入っているかによって全く違った感じで「現れる」という事実を経験上知っているからだ。

父の写真で額縁の選択は付随的なものではなく、風景の可能性を視覚的に最大限「現れる」ようにする写真の一部であり、画竜点睛の過程だ。ここで額縁と呼ばれる「形式」は、イメージの「内容」を補強し、変更するだけでなく、さらに印象全体を直感的に規定する役割をする。

概して人々は、形式よりも内容が重要だと考える傾向がある。ところで、本当に徹底的に「実事求是」をする人々は内容を入れる「形式」を非常に重視する。形式は、内容と分離することができないという事実を知っているからだ。アリストテレスは、モノの本質は、額縁のようにモノを囲む形式(form)の服を着て現れると見た。

額縁を英語で「フレーム(frame)」という。政治学には「フレーム戦争」という言葉がある。「フレーム」をどんなふうに作るかによって、事態に対する正確な認識とそれを突破する可能性が決まるという意味だ。

今回の補欠選挙でも野党は「フレーム戦争」に失敗した。そのフレームは今回も「反対側の人間が悪いから、私たちを選んでください」というものだった。ニーチェは、『道徳の系譜』で「羊を捕まえて食べるライオンが暴力的だから、捕まって食われる羊は善良だ」という方式の論理を、主体性のない「奴隷たちの道徳」と批判した。

災害に近い総体的国家危機の状況だが、今回も野党のフレームは自らの力でライオンになろうとする未来の風景を見せてはくれなかった。彼らの失敗は、政治戦術の失敗でもあるが、ニーチェの観点からは「道徳の失敗」でもある。
  • 毎日経済_ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-05-01 17:06:04




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