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[社説] 「七放世代」が忘れてはならないこと


  • [社説] 「七放世代」が忘れてはならないこと
20代と30代を意味する「2030世代」は、特別に「放棄」という単語と慣れ親しんでいる。大学入試の過程で多くの学生が「数放(数学放棄)」を宣言した。彼らが社会に進出する頃には、深刻な就職難に伴う自暴自棄の心理を称して、恋愛・結婚・出産を放棄した「サムポ(三放)世代 」という新造語が流行した。まもなく、人間関係・住宅購入・希望・夢をあきらめた「七放世代」が取りざたされた。自分のことだけに汲々として周りを見ないという「社会に対する関心放棄」も含めることがでいる。最近、話題になっている「成功した人のSNSに炎症、『ルーザーの集まり』がわいわい」に紹介された各種の「○○ができない人」の集まりは、諦めて放棄する心理が楽で慣れている若い群像の悲しい自画像だ。

40代と50代を意味する「4050世代」は「挑戦」がキーワードだった。1980年代の学生時代は民主化運動を通じて独裁権力に挑戦し、社会進出後は激しい世界市場に挑戦し、企業と国の経済発展のために東奔西走した。4050世代の挑戦は、政治的にも経済的にも重要な成果を上げたという評価を受ける。

しかし、挑戦の4050世代と放棄の2030世代は、生まれやDNAが違う世代ではない。挑戦した4050世代も若い時代数多くの放棄を克服しなければならなかったはずだ。放棄とは、何もしない純粋な不作為ではなく、挑戦という試みが前提になっている概念だ。2030世代もやはり、挑戦の意志や欲求すらなかったわけではないだろう。青春とは、飽くことのない欲望と冷めない情熱ではないか。あえて言わない各自の挑戦があり、それなりの成果を成していることは明らかだ。

「放棄世代」という規定は、2030世代の特性ではなく、彼らを取り巻く環境と条件の産物でしかない。挑戦世代にもそれなりの痛みがあったように、放棄世代にもそれなりの明暗がある。警戒すべきことは、彼らを放棄世代と呼ぶ「社会的な催眠」に飼いならされることだ。だから欲望を持ったり、挑戦せずに不作為に安住するのだ。しかし、放棄が流行のように普遍化された、大きな欠陥のない世代という点から、挑戦に対する負担を払拭できるのではないだろうか。もう放棄世代を「放棄するときに放棄したとしても、這いあがる世代」として再解釈してみたらどうだろうか。
  • 毎日経済_ムン・ジェヨン記者/写真=photopark.com | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-05-28 17:09:28




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