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[コラム] 私たちの時代に必要なツァー


  • [コラム] 私たちの時代に必要なツァー
「ツァー(czar)を任命する」というのは矛盾した言葉だ。ツァーは、絶対権力を振るう存在だ。神だけが彼に権力を与えることができる。それでも米国のマスコミは、大統領がどこそこのツァーを任命したという表現をよく使う。少なくともある一つの問題に関する限り、彼に強力な決定権を与えたという意味だ。ツァーは、マスコミにより誇張された表現だが、その人の権威を悟らせるには効果的な喩えだ。

韓国政府は去る3週間、中東呼吸器症候群(MERS / マーズ)をコントロールできずにうろたえた。すると私たちのところには、なぜ「マーズ・ツァー」がいないのかという非難が殺到した。バラク・オバマ米国大統領が昨年「エボラ・ツァー」を任命したことと対比された。もちろん保健福祉部長官が率いる中央マーズ管理対策本部と国民安全処長官が統括するマーズ対策支援本部が設けられ、官民合同の即刻対応チームと総合対応タスクフォースも稼動した。青瓦台(大統領府)では、2人の主席が緊急対策班を指揮した。それでも「マーズ・ツァー」を見ることはできなかった。

ツァーのいない対策会議は、「鳳仙花学堂(*)」のように見えがちだ。年金の専門家である保健福祉部長官、将軍出身の国民安全処長官をマーズ・ツァーと考える人はいなかった。山のような経済懸案を差し置いて、マーズの日次点検会議にしがみつく経済副首相、韓米同盟を強固にする首脳会談まで先延ばしにした大統領は、なおさらマーズの専門家であるはずがない。ツァーの不在は、それでなくとも、息のつく暇のない経済司令塔の手と国政の最高指導者の足を奪った。国政全般を担当する大統領や経済懸案を総括しなければならない副首相がマーズ・ツァーになることはできない。

ツァーは、まさにこのようなときに必要な存在だ。その人は少なくとも一つの仕事においては、大統領の分身になりえるだろう。ツァーを任命するときは、ひたすらそのことを誰が一番うまくできるかどうかだけを考えなければならない。官僚組織の上座にいたり、特定分野の専門知識を備えているからと、その仕事がうまいわけではない。オバマ政権の「エボラ・ツァー(エボラ出血熱対策責任者)」は、アル・ゴア副大統領とバイデン副大統領の秘書室長を務めた省庁間の調整の達人「ロン・クレイン」だった。

歴史的に、米国政府には数多くのツァーがいた。1930年代のフランクリン・ルーズベルト大統領以来、ツァーというニックネームがついた職責だけでも、110個余りに達する。この職責を経た人は150人近くになる。「エイズ・ツァー」もいたし、「国土安保(テロ対策)・ツァー」もいた。その中には上院の承認を経なければならない職責もあった。規制のツァーと呼ばれる米情報・規制局(OIRA)の局長が代表的だ。

オバマ政権の最初の「規制・ツァー」だった「キャス・サンスティーン(Cass R. Sunstein)」は、共和党の牽制により指名を受けてから10ヶ月が過ぎて、承認を受けた。情報規制局はそれほど強力な機関だ。連邦政府の規制法令に関する限り、彼が首を振ったら、何も実行できないため、力の強い省庁の閣僚も、彼の前では大声を出すことができなかった。規制に関する限り、彼はツァーで、大統領の分身だった。

韓国政府もあちこちにそのようなツァーが必要だ。政府の責任を曖昧にする様々な官民委員会や、見かけだけもっともらしいありとあらゆる特別補佐官は、ツァーの仕事ができない。マーズ事態は、伝統的な巨大官僚組織の限界を克明に表わした。セウォル号沈没後、政府は、国民の安全のために多くのことを改めた。しかし、新しい姿の危険が迫ると、まだ右往左往するだけだった。

成熟した民主主義社会で逆説的に強力な権限を持つツァーが必要な理由は何だろうか。既存の権力構造と硬直したシステムに対応するには、世界があまりにも複雑で変化するだ。マーズ事態以後、伝染病防疫システムはさらに緻密になるだろう。しかし、例えば、国際テロなどの新たな危険に襲われたときには、またどうするのか。また責任のない専門家と専門性のない当局者を前面に出して、究極のアマチュアリズムを見せてくれるのか。

マーズ事態は、国家の支配構造と政府の仕事の仕方に関して多くのことを省察させる。病院情報の公開を遅らせたのは、その趣旨が何であれ、予定された失敗だった。政府が情報を独占することのできる時代は、とうの昔に終わった。今のように開かれていて、複雑であり、絶えず変化する世界では、硬直的な官僚主義体制の権力ではすぐに信頼を失う。解決策はある。最大の信頼を得ることができる人に最大の権限を与えるのだ。危機の時代のリーダーシップの要諦は、まさにここにある。

(*)鳳仙花学堂とは、1991年から2011年まで放映されたKBSのお笑い番組のワンコーナーで、馬鹿な生徒役のオソバンとメングという劇中の人物が 大きな人気を集めた。学生と先生が生み出す散漫な教室の風景を背景に、各キャラクターの可笑しな言動により授業の進行ができない状況まで追い込まれ、強制的に授業を終えるという内容だった。禅問答の状況を比喩するときに、使用されている。
  • 毎日経済_チャン・ギョンドク論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-06-10 17:21:29




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