トップ > コラム > オピニオン > [コラム] 65歳の青年の悩み

[コラム] 65歳の青年の悩み


先日、テレビで囲碁対局を見ていて、ふとデミ・ムーアのことを思い出した。

突拍子もなく聞こえるだろう。囲碁は、今まさに30歳になった韓国の棋士と10代の中国女流棋士の対局だった。世界棋戦の32強戦とあって、複数の対戦が一気に行われていたが、当然、韓国人の棋士が勝つだろうと考えたのか、中継放送を進行する人はその対局にさほど関心を持たなかった。中国の女流棋士の棋力も小さくはなかったが、相手は世界大戦で優勝した経歴がある棋士だったからだ。

ところが、中継スタッフの予想とは違って、形勢は危うく流れて、半目を争う状況になった。情勢を眺望する解説者が放った言葉がデミ・ムーアを連想させたのだ。何を言ったのだろうか。

地の計算を正しくするべきだが、半目を争う状況になれば、どうしても韓国人の棋士が不利だという話だった。 「計算をするのに、どうやって若い10代について行くことができるだろうか」という言葉だった。いくら女流棋士でも、相手は10代なのだから。このようなニュアンスで読み取るとピッタリの言葉だった。

デミ・ムーアは、年を取ってから醜態を見せていると黄色新聞をにぎやかにさせた。

  • [コラム] 65歳の青年の悩み
ブルース・ウィリスと離婚して、16歳年下のアシュトン・カッチャーと暮らし、若い夫に振られた後には若者と仲良くするために努力しているムーアの姿が同情を超えて嘲笑を買うのだという。上の写真はタブロイド誌に掲載されたムーアの写真で、まだ大人になり切れていない20代の女性のように艶やかにレニー・クラヴィッツを誘惑するが、レニーは面倒だという表情で座っている。

デミ・ムーアは、1962年生なので今、50代だ。最近、国連が出したレポートの内容通りなら、まだ生き生きとした青年期だ。国連レポートが青年期を18~65歳、中年を66~79歳と規定したので、正しい言葉だ。

周りで60代前半の人を見ると、本当に昔とは違って、高齢だという印象が全くない。子供を産むと言われても不思議ではないほどだ。100歳時代を生きるために、健康がなによりも重要だからと毎朝ジョギングをして、ジムに通い、健康食品を食べる人があふれている。

実際にはデミ・ムーアのように、若い男性、または若い女性とパーティーを楽しみたい60代の青年たちがすごく多いはずだ。心はパーティーにありながらも、勇気がなくて、または他人の指弾を受けるのが怖くて行けないのだろう。おそらく、デミ・ムーアのように、若者たちと行動をともにして嘲笑を買ったりもするだろう。

会社では60代の青年など見向きもされない。30代の棋士が絶対に10代の少女の計算にはついていけないように、彼らの脳は退化していることを知っているし、職場で国連の青年レポートを真剣に検討する理由もどこにもない。

60代は想像力も計算力も失ったまま、体だけ健康な青年だ。彼らに「青年よ大志を抱け」という言葉を投げかけることができるだろうか。投げかけなくてはいけない。20代の青年とは別の形の野望だとしても、アフリカの草原に横たわってライオンがカモシカを噛みちぎるシーンを見たいなどの無茶な夢を見たとしても、夢を持つよう勧めなくてはいけない。そんな悩みがあってこそ、青年と呼ぶことができるのだから。

悩みのない青春は、あんこのないあんまんと同じではないだろうか。若者と遊ぶためにデミ・ムーアが悩むのであれば、それこそ青春の悩みと言えるだろう。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-09-26 08:00:00




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア