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[世智園] 明太


  • [世智園] 明太
朝鮮時代の咸鏡北道明川郡を巡視中だった観察使が、食卓にあった魚を食べて名を尋ねた。名はなく、明川に住む太氏の性を持つ漁師が釣ってきた魚だとしたら、観察使が名をつけた。国民魚の「明太(ミョンテ)」は、こうして誕生した。歌手カン・サネが歌った『ミョンテ』という歌謡にも、明太の由来がラップで歌われている。

明太は1980年代まで東海で最もよく釣れる魚だった。加工法によって名が数十種類あるほど、庶民と馴染みな魚だ。生きているのは、「生太(センテ)」、半干しは「コダリ」、完干しは「ブクオ」、凍らせたものは、「凍太(ドンテ)」、凍らせて乾燥させることを繰り返したものは、「ファンテ」と呼ぶ。幼い魚を干したものは「ノガリ」と呼ぶが、駄法螺を吹くことをたくさん言うとき、「ノガリを吹く」という表現を使うことも、明太が多くの卵を産むことに由来したという。それにもかかわらず、1980年代、7万4000トンに達した漁獲量は急激に減少し、1990年代6000トン、2000年代半ば100トン未満に下回り、現在は絶滅危機にある。祭祀膳にロシアの明太が上がるほど、異国的な魚に転落した。水温が上がった影響もあるが、幼い魚のノガリを無作為に乱獲したことが原因だった。

ついに2009年末、国立水産科学院の東海水産研究所で種苗生産が可能な2キログラム以上の明太に20万ウォンの褒賞金を掲げ、昨年には、「家出した明太を探します」というスローガンを掲げて褒賞金50万ウォンで上げた。「明太生かしプロジェクト」のお陰で、漁民が取得した明太から取った卵を受精、孵化させて20センチメートルまで育てるのに成功した。海洋水産部と江原道は、去る18日、高城郡大津港で明太の稚魚1万5000匹を放流した。現在、管理している母の明太が7匹に過ぎない程度で、ちょっと間違えれば完全に絶滅するところだった。

1990年代に姿を消したタラも巨済水産業協同組合が1994年にタラの卵を2500万個を解放して放流事業を開始し、復元に成功した。 2000年代、大きい魚一匹の価格が30万ウォン台まで上がり「金タラ」という言葉があったが、着実に人工受精卵と稚魚を放流したおかげで、今では3万~4万ウォン台に落ちた。国民魚の明太も負担のない価格で、再び食卓に上がることを期待する。
  • 毎日経済_シム・ユンヒ論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-12-21 18:06:27




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