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[コラム] 戊戌年に寄せて


文字の形だけを見たら「戊戌年」は極めて殺伐としている。

槍と戈が重なって出てくるのだから、この年には何か大きな事が起きるのではないかという考えが自然に浮かぶ。

しかし歴史をくまなく見てみても戊戌年にひどい事故が起きた記録はない。

韓半島(朝鮮半島)に起こった事件に限定しても韓国で聖雄として仰ぎ敬われる忠武公李舜臣将軍が戦死した露梁海戦程度だが、この戦いは戦争の序幕ではなく戦争の終焉に相当するため惨劇が起こったと見ることは難しい。

世界的に見てみても1898年、北アフリカのスーダンでフランスと英国軍が衝突したファショダ(Fashoda)事件、マンチェスター・ユナイテッド所属のサッカー選手を乗せて帰国途中だったイギリスの旅客機がミュンヘン空港から離陸時に転覆し、23人が死亡した事件が目に入る程度だ。

60年ぶりの戊戌年には世界の人々が「今年は事故を起こさずに平和に過ごそう」と決議でもしたのだろうか。

筆者の考えでは戊や戌の二文字が槍を使うことがないよう前後を閉じた姿によるものではないかと思う。

ひとりで大軍を相手にする勇気を持って槍を力強く持ってはいるものの、罪のない人には決して槍を向けない将軍。

塀を越える盗賊に向かって鋭い牙を見せて吠えるものの、決して通行人に襲い掛かることのない犬。

戊戌に含まれている意味はこんなものではないかと思う。

槍を使うことがないよう、しっかりと固定しておいておいたものの、境界を崩す人には容赦ない報復をする万全の準備を整えたのだから、誰かれなくみな平安だ。

だから戊戌年を「黄金の犬」と呼ぶようだ。

黄金の犬はどんな犬だろうか。

まぶしくつややかな毛を誇り、調子に乗っている犬ではないだろう。自由に歩き回り身なりがみずぼらしくしても、ぐずつく子供を落ち着かせるのに苦労している母親に会えば金色の毛を抜いてくれる犬ではないだろうか。

戊戌の右手の門が開いている理由は自分より弱く、かわいそうな人に施しなさいと自分を大きく開けと言う意味のようだ。

2018年の戊戌年にはどうか全世界の人々が分かち合いながら生きる豊かな一年を送ることを願う。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2018-01-01 00:00:00




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