トップ > コラム > FOCUS > 「海の火薬庫」から「平和の島」に…白翎島・延坪島ルポ

「海の火薬庫」から「平和の島」に…白翎島・延坪島ルポ


  • 「海の火薬庫」から「平和の島」に…白翎島・延坪島ルポ
  • 白翎島(ペクリョン島)の漁民が漁船に掲揚した「西海5島韓半島旗」。
    写真提供=仁川市民対策委員会



■ NLL分断の象徴「白翎島・延坪島」ルポ

南北首脳会談を二日後に控えた25日、仁川市甕津郡白翎面の龍機浦(ヨンギポ)新港。北韓の長山谷(黄海長淵郡ヘアン面)から14キロメートル離れた、大韓民国最西端のペクリョン島に旅客船が入港するやいなや、満開の桜が島のあちこちで「陸地人」を歓迎した。

1999年の「第1次延坪海戦(西海交戦)」から2010年の「延坪島砲撃事件」まで、韓半島の「海の火薬庫」だった黄海の「北方限界線(NLL/North Limit Line)」近くの西海5島の大将格ペクリョン島は、歴史的な南北首脳会談を控えて緊張感のまざった期待に膨らんでいた。第3回めになる今回の南北首脳会談が、火薬庫を平和の島に生まれ変わらせる最後の首脳会談になるのか、住民は家や市庁舎などでテレビニュースに没頭した。

海軍第2艦隊司令部所属の哨戒船(PCC)乗組員104人のうち46人が北韓の挑発で命を失った「天安艦爆沈」事件を目前に経験したペクリョン島の住民は、特有の落ち着きを維持するが、目の前に迫った南北対話に促された気味だった。

島でタクシーの営業をするソン某氏(63・男)は、「今まで裏切られた記憶があるので、ひたすら北韓を信じることは禁物」だとしながらも、「平和な雰囲気を望むのは当然のことではないか」と期待感を表わした。ペクリョン島のチンチョン里で自営業をしているチェ某氏(64・女)は、「子供の頃は島の上を通過する飛行機に手を振ったが、近所のお年寄りに北韓の飛行機から逃げずに何をやっているのかと叱責を受け、避難所に逃れた記憶がある」とし、「こんどの首脳会談をそのまま楽しむことはできないが、期待する理由はこんな記憶があるからだ」とした。

停戦協定以来、南北間の同床異夢の象徴だったNLL一帯の西海5島の住民は、今回の南北首脳会談がこれまで平行線をたどってきた海上紛争だけでなく、政治と社会・経済全般で南北間の隙間が狭くなる和解と統合の場になることを望んだ。

ペクリョン島の操業漁民は、特に南北和解ムードづくりで経済的活路が広がることを期待した。「歳のぶんだけ漁業に従事した」というキム某氏(69)は、「北韓と話がうまくいけば、私たちにも役立ちそうだ。北韓との合意で操業が可能な水域にも広げることができ、仁川とペクリョン島間の航路も今のようにぐるっと回らずに利用できるだろう」とした。

■ 延坪島(ヨンピョン島)の住民は…

「第1・2次延坪海戦」と「海岸砲砲撃」の傷痕が依然として残る延坪島(ヨンピョン島)の住民も同じだった。

17歳の時に「6・25戦争」が勃発して、北韓の黄海道甕津郡から家族とともにヨンピョン島に降りてきた住民のパク・ヨンソン氏(85)は、「政権が変わるたびに南北首脳会談が開かれるパターンが繰り返されるようで、今回も一応疑っているが、今回だけは変わるのではないかという糸のように細い希望を抱いているのも事実だ」とした。海兵隊6旅団延坪部隊所属の兵士らは、昨年10月から北韓の軍事訓練が例年に比べて静かになったと耳打ちした。

ペクリョン島とヨンピョン島など西海の最北端の漁民は今月初めから、韓半島の平和を祈願する意味を込めて、これまでの韓半島旗に西海5島を追加した「西海5島韓半島旗」を漁船につけて操業していた。パク・テウォン延坪島漁村係長は、「黄金漁場を成している黄海NLLで過去30年のあいだ、中国漁船が水産資源を独占しながら私たちはお手上げで見守るしかなかった」とし、「この機会に南北が力を合わせて、私たちの海洋資源を保護しなければならない」と声を高めた。
  • 毎日経済_延坪島=ヤン・ヨンホ記者/ペクリョン島=リュ・ヨンウク記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2018-04-25 17:45:28




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア