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[コラム] 天職


先日、葬式場でハプニングが起きた。
検事たちの口論、もう少し正確に言えば次長級の検事が上司の検事長に対して抗論した事件(?)だった。

彼が言ったのは一言だけだ。
「お前は検事か?」

よく知らないけど、自分にも同じ質問を投げかけたと信じている。

「お前は検事か?」という問いには天職という意味が含まれている。法に則って行動するだけで、周りを気にしてなかなか決断を下さない。特に権力の顔色をうかがうことも、権力にも頼らないという所信のある発言だったのだろう。そうであってほしいという筆者は願っている。

辞書的な意味で天職は2つの意味を持っている。
1. 生まれ持った職業や職分、そして
2. 王様の職分だ。

天の恵みがなければ王になれないという意味でも使われる。

それでは、検事は天の助けがない状態で得られる職分だろうか?決してそうではない。

法曹界への道は過去よりもかなり広がってきたが、今でも「空の星を取る」ほど難しいのは同じだ。 司法試験合格者1000人のうち、上位20%に入れなければ、ただの平凡な弁護士で満足するべきだ。

検事になったからといって終わりではない。学縁、地縁、血縁がなければ高い地位に上がることができまない。上命下服体制が徹底してる検察組職で「下級検事」として過ごせば、いくら大きく壮大な志を持っていても十分に羽を広げる機会さえ得ることができないということだ。

天職という言葉が出たついでに宗教人についても調べてみよう。
神を奉り、苦しむ人々を神の道に導く人々だから、自分の仕事を天職と考えなければ、人生そのものが曖昧になるだろう。

そのため宗教人、特にキリスト教の牧師は召命、つまり神に召された言う。しかし、韓国の牧師たちの言葉と行動から天職を遂行する痕跡を見つけるのは簡単なことではない。

牧師社会では自分のことを貴族牧師と天職牧師に分類するという話を聞いたことがある。登録されている教徒が多い大型教会の牧師は、運転手が運転する最高級乗用車に秘書室まで設置されている。それに対し、経済的に大変な教会の牧師は、建設現場で力仕事をしたり、運転代行をしながら生活を続けている。運転代行をして交通事故に遭って命を落とした牧師もいる。

このような理由で経済的に大変な牧師は自分のことを賤職(チョンジク)と言う。天職(チョンジク)ではなくて賤職だ。

検事、牧師の他にも医師、先生など、自分の仕事を「生計の手段」ではなく「天職」と考えるべき方も多い。しかし、高い地位に上がるほど、天職は貴職に急変しやすい。

「お前は検事か?」
これはある特定の検事ではなく、検事社会全体、最終的には医師と先生、そして宗教人が絶えず問い返すべき質問だ。
  • Lim, Chul
  • 入力 2020-01-22 00:00:00




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