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コラム > オピニオン > 【韓国コラム】ああ、テスヒョン、今の政治はどうなってるんだ?
政治の中心地の汝矣島(ヨイド)に行くと人が変に変わるという話がある。
おとなしい人が軍鶏に変わり、些細な過ちでも顔を赤らめていた人が図々しくなると言う。「政界は非倫理的ドラマやコメディと同じだ」と嘆く人もいる。
言葉尻を捕らえて非難し続ける非現実的ドラマのような状況で、流行語を使うのはコメディアン同然だ。
最近の韓国の政界はまさにそうだ。
21代総選挙で、忠清道(チュンチョンド)の当選者の中で最も高い得票率を記録し、汝矣島行きのチケットを手にした政治家が、国政監査で携帯電話でゲームをしていた場面を捉えられた。中小企業ベンチャー企業委員会の国政監査の場であったことだが、中小ゲーム会社を応援するためだったのだろうか。
授業中に学生がゲームをしても叱られるのに、民意の代弁者という国会議員が国政監査をする場でゲームをしたのだから、政治を戯画化した功労が認められて当然のことだ。
ゲームをしていた主人公のカン・フンシク議員は、大学(建国大学)在学時代、教育改革法改正反対運動を展開し、2000年には国会議員落選運動を企画する若者だった。「正々堂々」というインターネット政党を設立して政界に足を踏み入れた。
400回以上の放送討論に参加して「合理的な人」という評価も受けたので、このような無分別な行為は汝矣島の風水説によるものであることは明らかだ。汝矣島の気運が人を駄目にしたということだ。
政治を戯画化させる国会議員は彼だけではない。与野党の議員が先を争ってテスヒョン(ソクラテス)を召喚している。
政府の不動産政策で国民が苦しんでいると指摘する野党議員は、ナ・フナ(羅勲児)の「テスヒョン!」を流し、与党議員は医療界の集団休診と国家試験再受験要求を批判しながら「テスヒョン、最近の医師たちどうなってるんだ?なぜ、こんなに利己的なんだ?」と言った。
野党のある支部委員長はFacebookに「4000坪の長官宅が息苦しい?テスヒョン、世の中はどうなってるんだ?」という文句が書かれた垂れ幕の試案を載せた。カン・ギョンファ外交部長官の夫がヨット購入のために米国旅行に発ったことに対する批判だ。テスヒョンをFacebookに呼んだ野党議員は、この他にもたくさんいる。
「テスヒョン」は、ナ・フナが8月に発売したアルバムのタイトル曲だ。人生の意味と歳月の意味を問うこの歌は、秋夕(チュソク、旧盆)特集公演以降、人気が高まっている。
あ!テスヒョン、この世はどうなってるんだ。なんでこんなに大変なんだ。
あ!テスヒョン、ソクラテスさん、愛はどうなってるんだ?
汝自身を知れと、 ぽんと吐き捨てた言葉を
僕が分かるはずがないよ、テスヒョン
ナ・フナは亡くなった父の代わりに「テスヒョン」という名前を付けたそうだ。歌の雰囲気がやや暗くなるのを警戒したためだろう。
ナ・フナが歌で強調した部分は「汝自身を知れ」という文句だ。この歌を歌う人のほとんどは、ソクラテスを「汝自身を知れ!」と一喝した古代哲学者として記憶するだろう。
「汝自身を知れ(gnōthi seauton)」
ギリシャのデルフォイにあるアポロン神殿の玄関の柱に刻まれているというこの言葉は、ソクラテスが初めて口にした言葉ではない。一説にはギリシア七賢人の1人タレースが書いたと言われているが、正確ではない。ソクラテスはこの言葉を「自分自身を知るのは難しいことで、簡単なのは人を忠告すること」という意味でこの言葉を使った。
与野党の政治家をはじめ、テスヒョンを召喚した人々が人を批判する前に鏡に映った自分の顔を直視しただろうか?
「人の目のホコリは見えても自分の目の梁は見えない」
テスヒョン云々する前に鏡の前に立てば汝矣島の空気も少しは変わるのではないか、そんな気がする。