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コラム > FOCUS > [FOCUS] スターバックス、シュルツ会長SNSで袋叩き
米国の白人黒人種の葛藤は、昨日今日の事ではない。もちろん、人種差別解消のための多くの努力があった。過去に比べて相対的に人種葛藤問題がある程度緩和されたことも事実だ。しかし、依然として目に見える、そして目に見えない根の深い人種差別と葛藤は、水面下に潜んでいる。目いっぱいに押したバネのように、いつ爆発するように飛び出か知ることができない。
昨年夏以降、米国の人種葛藤のバネは大きく跳ね上がった。昨年7月にニューヨーク市の路上で課税対象外のタバコを売っていた黒人のエリック・ガーナーさんは、白人警察の「首を絞める」過剰鎮圧により死亡した。1ヶ月後の8月には、米ミズーリ州ファーガソンで非武装の黒人青年のマイケル・ブラウンさんを白人警察が銃を撃って射殺する事件が起きた。以来、白人と黒人の葛藤が高まり、陪審員が2人の白人警官をすべて法廷に立たせないことに決めたことをきっかけに、米国全域に大々的なデモが広がった。
人種葛藤は、米国のアキレス腱である。多くのアメリカ人が人種差別主義者ではないことを強調しながらも、人種問題を取り上げるだけでも負担を感じているようだ。人種問題を取り上げてみても、うまくやっても元手という雰囲気が蔓延しているためだ。
ところが、スターバックスの神話を成し遂げたハワード・シュルツ会長が去る3月中旬に、勇敢に(?)人種葛藤問題の公論化に乗り出した。人種問題についての議論の場を拡大して人種和合の道を探そうとする意図の下に、スターバックス店舗のバリスタが顧客の紙コップに「レース・トゥゲザー(Race Together)」というメッセージを直接書き込み、またはこのようなフレーズが刻まれたステッカーを貼るようにした。顧客がフレーズを見て人種問題について関心を示せば、お互いの意見を交わし会話もできるように推奨された。
▶ スターバック「レース・トゥゲザー(Race Together)」の論難
しかし、ソーシャルメディアを中心に、これに拒否感を見せている雰囲気が広がり始めた。以下は、ソーシャルメディアに上がってきた内容だ。
「コーヒーを売る会社はコーヒーだけを売ればいいよ、どうして人種問題を引き込むのか」、「スターバックスの経営陣がすべて白人で構成されているが、人種問題を論じる資格があるのか」、「エチオピアで0.1ドルのコーヒー豆を買って来て、グランド・ラテを10ドルで売る悪徳資本主義者が何か言うことがあるか」などだ。特に人種葛藤の問題が社会的に問題になっている状況で出てきた機会主義的な商術という非難も少なくなかった。
シュルツ会長が人種和合のための純粋な意図で人種問題を提起したのか、でなければ顧客をさらに集めるためのマーケティングのレベルなのかは知ることができない。しかし、一つはっきりしていることは、シュルツ会長が社会的な問題について声をあげたことは今回が初めてではないという点だ。進歩主義的性向が強いシュルツ会長は機会があるたびに「企業が社会的イシューについて、傍観者になってはならない」という哲学を強調してきた。
2013年、連邦政府シャットダウン(政府機能麻痺)事態が発生したときに、ワシントン・スターバックス店舗のコーヒーカップに「Come Together」というフレーズを書くようにした。議会議員が協力して予算案を早急に通過させるようという圧力だった。また、銃規制(Gun control)論者であるシュルツ会長は、銃擁護者の激しい反発にも店舗にはどんな武器も持ち込まめないようにした。独善的という評価もあるが、大衆は彼の所信に高い点数を与えた。
ところが、ひときわ今回の人種問題公論化を提起したことについては特に言葉が多いことは、それだけ米国社会が人種問題を不快に思っているという傍証と解釈することができる。いくら正当性があり、正しい話だとしても、あえてコーヒーカップにまで書いて公論化させること自体が苦々しいという話だ。
このように米国で、人種問題は非常に扱いにくい問題だ。しかし、厳然とした現実である人種問題を努めて無視しようとすればするほど、人種葛藤問題の解決は、遼遠ではないだろうか。