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[I ♥ 建築] 映画から学ぶ点


  • [I ♥ 建築] 映画から学ぶ点
映画が始まってから100年ちょっとが過ぎたが、現在人々にとって最も人気のある文化媒体だ。一方で、建築は数千年の歴史を持っているが、大衆の興味から外れている。その理由は果たして何だろうか。

この質問に対し、数日前に建築人たちが集まった席で耳にした答えが興味深かった。映画と建築の興行の違いは、「制作に参加したすべての人の名前が公になるかならないか」で区分されるという。

映画は上映が終わったあと、製作に参加したすべての人の名前がエンディングクレジットに退屈なほど長くすべて登場する。監督と主演俳優からエキストラや照明器具を扱った人々まで、すべてが登場する。少しでもその映画に参加した人々は、一度その映画を観に行ってエンディングクレジットに自分の名前が出てくるまで座っているだろう。すでに大衆の関心が始まっているのだ。

建築には建築主や設計者だけでなく、工事費の融資をした銀行関係者、タイル工、配管工、ペイント工、大工、各種材料を納品した人たちまで数えきれないほど多い。

実際に聖水大橋を建設する際にトラスの一部だけを溶接した人も、その橋を通り過ぎながら「これは私が作った」と誇らしげに話すことだろう。しかし、我々はどこにもその事実が称えられていることを目にすることができない。どこにもそのクレジットが記録されない、言い換えれば、仕事さえ終わったら私は責任を負う必要がないということを意味する。責任のある施工ができるはずがないのだ。

画家は自身の作品にサインをする。結果物に自分の名前をかけたとき、しっかりとした結果が出てくる。ベンツ車は工場で大量生産をするが、「ダイムラー」のサインを自動車の前面ガラスに入れてから出荷する。名前をかけて作ったという象徴だ。

建築家の安藤忠雄は初期にプロジェクトをするたびに、施工者たちの写真を撮ったという。単純労働者も自分と同じ気持ちで工事に臨むことを望んだためだ。そのような意味で、最近オープンした「ロッテワールドタワー」の建築に参加した8000人の名前を5階広報館の壁面「タワーを作った人々」に残すようにしたことは賞賛に値する。今後もこのようなことが日常になるのであれば、私たちは世界的な都市に住むことになるであろう。
  • 毎日経済 ユ・ヒョンジュン 弘益大建築学科教授 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-06-19 08:52:30




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