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[社説] 4月19日の記憶


4月19日の朝だ。

55年前、この日、韓半島(朝鮮半島)では不正選挙により権力を横取りした独裁政権に向けた怒りが通りを埋めていた。

「私たちに目を閉じなさいという。耳を塞いで口を閉ざしなさいという。しかし、そうするには、胸の中に一切れ残った愛国心が涙を流す(山高等学校学生宣言文)」

青少年期の中・高校生が死の隊列の先頭に立った。そして、ついに独裁政権は白旗を上げた。

新生大韓民国の国父として12年の間権力の座にいた李承晩大統領は、景武台から退きながら「不義を見ても立ち上がらない国民は死んだ国民だ」という言葉を残した。

その日、韓国人は生きている存在だった。たとえ1人当たりの国民所得が79ドルでフィリピンの3分の1にしかならない貧しい国だったとしても、市民の力で独裁権力を追い出した自負心に満ちていた。肩が外れて背筋が曲がほどに働きながら、自分は飢えても子だけは学校に送らうとした両親の犠牲のもとで作られた自負心だった。

このような自負心が「漢江の奇跡」を成し遂げた源泉であり、韓国が金持ちクラブ(OECD)の一員になった元手だった。

半世紀が過ぎた今、韓国人は自分自身に問わなければならない。私たちは自負心を持った民族なのだろうか。この問いに「そうだ」と簡単に返事するには恥ずかしい場面があまりにも多く思い浮かぶ。

まだ見つからない学生の遺体を抱いているセウォル号は、南海の冷たい海の中にあって、船体引き揚げについてあれこれと争っている。南米に向かった大統領の代わりをする首相は捜査対象だ。慶尚南道では道知事と母親が「ご飯(無償給食)」についての力比べをしている。

復元力を失い、座礁したセウォル号のように二つに割れた韓半島を自らの力で一つにする道は見えない。分断された悲しさを一緒に悲しむ代わりに、自分の利益にしようとする勢力のせいで、韓国には希望を発見できず、見知らぬ異国に移民として行く韓国人が隊列をなす。

半世紀前のその日、韓国人に自負心を植えつけてくれた動力は、犠牲だった。夢の多い幼い学生の犠牲だった。半世紀前の独裁政権に抵抗して犠牲になった幼い学生に借りを作ったように、韓国人は南海で死亡した学生にも返さなくてはいけない借りがある。韓国人が自負心に満ちた民族として世界に、そして歴史の前に堂々と立つためには、まず「借りのある自分」を自覚することを優先的にしなければならない。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-04-19 09:48:00




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